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目次
Part 1 立身出世主義の終焉
Part 2 アメリカの大学改革
Part 3 プレップ・スクールと公立高校
Part 4 中学・高校留学に関する注意
Part 3 プレップ・スクールと公立高校
名門プレップ・スクールの変容
さて、アイビー・リーグをはじめとするアメリカの一流大学の方針転換は、当然ながら中等教育にも大きな影響を与えた。
とりわけ、受入れの割当てを減らされた名門プレップ・スクール、ボーディング・スクールは、否応なく変化を迫られた。名門プレップ・スクールの多くが70年代に男女共学化しているのは、その一つの表れであるだろう。前述の岩井氏は、「ワスプ上流階級の教育は、1968年あたりで終焉を迎えた」と言う。
ロビン・ウィリアムズ主演の映画『いまを生きる(原題:
Dead Poets Society)』に描かれている、1950年代の厳格かつ閉鎖的、教条主義的なプレップ・スクールの姿はすでに過去のものとなった。
現在の名門プレップ・スクールは、『レイコ@チョート校』(岡崎玲子著)で描かれているような、どちらかと言えば進歩的で開明的な学校に変貌しつつあるだけでなく、奨学金の給付によってマイノリティや外国人留学生をも積極的に受け入れている。その授業は、かつての古典とキリスト教文化を中心とした内容から様変わりし、いわばリベラル化している。科目は、選択に幅をもたせ生徒のモチベーションを高めるように細分化され、「大学の授業のミニチュア」とも呼べるほどに専門的なものとなった。
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意外にハイレベルの公立高校
意外に思われるかも知れないが、実は、これは多かれ少なかれ米国の一般的な公立高校でも言えることである。大統領選の模擬選挙や国際交流イベントなど、『レイコ@チョート校』で活写されるプレップ・スクールの世界は、そのかなりの部分が公立のハイスクールとも重なる。筆者の見た米国東北部の公立高校でも、意外なほど多くの授業が少人数のゼミ形式で行われ、女性やマイノリティに対する差別問題を専門的に扱う選択科目があるなど、やはり大学顔負けの授業が行われていた。
アメリカの公立高校は地域間格差が大きいので一概に論ずることができないのも確かであり、留学などに際しては地域の事情に注意する必要がある。しかし、義務教育で授業料も無料である公立高校の教育環境が劣悪かと言えばそんなこともないのである。アイビー・リーグが公立高校に門戸を開いたのを機に、一部の公立高校とプレップ・スクールが競合するようになり、互いの長所を取り入れつつ切磋琢磨する関係が生まれたという面もあるのだ。
卒業生人脈こそ成功の鍵
とは言うものの、名門のプレップ・スクール、ボーディング・スクールの存在意義が薄れたというわけではないだろう。一般に名家の子弟を集め、その家族からの寄付金を得て資金が潤沢であるエリート私立高校では、公立のハイスクールよりも優秀な教師を揃えることができる。また、厳しく選抜された生徒が集まる環境が、無試験で入学できる玉石混交の公立学校よりも勉学に適していることも当然だろう。
だが、何よりも貴重なものは、比較的少数の優秀な名門の子弟が昼夜を分かたず共に多感な十代を過ごすことから得られる「濃密な人間関係」ではないかと思われる。おそらく公立の数百分の1という狭き門であるだけでなく、1校あたりの生徒数も少ないプレップ・スクール、ボーディング・スクールの卒業生人脈の密度は、公立のハイスクールとは比較にならないほどに濃い。それは、アメリカの実業界、政界、官界等で活躍する卒業生の成功の基礎ともなっているとされる。
次は、「Part 4 中学・高校留学に関する注意」
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