資産家宅でのサロン

 

 

目次

Part 1  立身出世主義の終焉

Part 2  アメリカの大学改革

Part 3  プレップ・スクールと公立高校

Part 4  中学・高校留学に関する注意

 

Part 2  アメリカの大学改革

 

教育のアメリカ化が進行している?!

 では、世の中が私学出身者によりリードされるということは、ある意味で日本社会がアメリカに似てきたということなのだろうか。アメリカでは、社会の指導的立場にいる人々の多くを輩出する一流大学、とりわけ、ハーバード大などのいわゆるアイビー・リーグはすべて私立大学であり、州立大学、市立大学などは、一部例外はあっても一般に一流私学に比べてランクが低いと見なされている。

日本では、少なくとも財政面では一般に東大などの国立大学の方がまだ私学よりも恵まれている印象がある。ところが、アメリカでは、資産運用に長けた有名私学は、公立大学よりも資金が潤沢であり、優秀な教員を雇い入れやすいという。

 

高等教育の世襲化

しかし、高水準の教育を基本的に民間資金で賄っているということは、アメリカでハイレベルの高等教育を受けるとすれば、その学費は著しく高いということでもある。

従って、一流私立大学の学費・寮費、さらに進学準備高校であるプレップ・スクールの費用まで含めれば、これを賄える家系は自ずと限られてしまうことになってしまう。

そのため、アイビー・リーグ出身者の子はやはりアイビー・リーグに行くという傾向が見られる。これを「高等教育の世襲化」と呼んでもいいかも知れない。第41代大統領ジョージ・HW・ブッシュの息子であるジョージ・W・ブッシュ第43代大統領が、父親の出身高校であるアンドーバー校から、やはり父親と同じイェール大学を出ていることが、その代表例であろう。

アメリカのエリート教育に見られるこのような傾向は、日本の東大に象徴される「立身出世主義」の言わば対極であると言える。東大に相当するような学費の安い官立の一流大学が存在しないのであるから、田舎の貧しい青年が刻苦精励して勉学に励み、一流大学に進学して高い地位につくという「立身出世」が成立する余地を見出すのは、米国では困難なように思われるかも知れない。

 

変わらない米国大統領の学歴

 さて、ここでもう一つの表を見てみよう。

 

表・アメリカ合衆国大統領の学歴

 

これは、第26代セオドア・ルーズベルトから第44代バラク・オバマまで、20世紀に入ってから以後の歴代アメリカ合衆国大統領19名の学歴を示したものである。

 先に見た日本の歴代首相の学歴を思い出して欲しい。日本の首相のそれに比べると、米国大統領の学歴には、一見して明らかな傾向や変化が見て取れるわけではない。

むしろ米国大統領の学歴で目に付くのは、その「変わらなさ」だろう。最終学歴ではハーバード大学、イェール大学、コロンビア大学などのアイビー・リーグの大学・大学院が20世紀初頭から一貫して多数を占めるという傾向が見られる。

選挙運動中は「チェンジ」をスローガンにしたオバマ大統領もまたハーバード大学ロースクールの出身であり、その点では「変わっていない」ことになる。

 

 

交替する富豪と庶民

 だが、中等教育での学歴に注目すると、興味深い傾向があることに気付くかも知れない。

それは、いわゆる名門の大学進学校であるプレップ・スクールやボーディング・スクールの出身者とそうでない者が交代する傾向が見られることである。

 とりわけ面白いのは、代表的な名門プレップ・スクールであるグロトン校出身のフランクリン・ルーズベルトや、同じく名門のチョート校出身のジョン・F・ケネディといった言わば世襲貴族的な富豪政治家の後継者として、それぞれハリー・トルーマン、リンドン・ジョンソンという苦労人タイプの政治家が大統領職に就いていることだ。

トルーマンは20世紀以後の大統領としては唯一大学卒の学歴のない人であるし、ジョンソンも教員養成大学卒という政治エリートとしては例外的な学歴の持ち主である。トルーマン、ジョンソンの両人は副大統領出身であったから、ルーズベルトもケネディも、ともに自らとは全く対照的とも言える「庶民」タイプの人物を補佐役として選んだことになる。

 

アイビー・リーグの奨学金

 ところで、ハーバードをはじめとするアメリカの一流私立大学の基金は、年金基金と並び称されるほどの巨大な機関投資家である。資産運用によって得られた収益は、上に述べたように優秀な教員の雇用や研究費などに充てられるだけではない。その多くは奨学金として学生に支給されている。アイビー・リーグの高額な学費・寮費を賄えるだけの奨学金が、何と学生数名に1人の割合で給付されるというのだから驚く。

ということは、日本のような「官立の一流大学」は例外的であるアメリカではあるが、学業さえ優秀であれば、必ずしも経済的に恵まれていない学生であっても学べる体制が整えられているわけである。

 だとすれば、「立身出世」の道は、アメリカにも開けているということになるだろう。

 

社会の活性化をもたらした米大学の変革

 だが、その道が最初から開かれていたわけではない。

 時代のうねりの中で、大学が「変化」した結果なのである。

 アメリカのエリート教育について研究されている京都大学の岩井八郎氏によれば、アイビー・リーグの学生受入れ方針は1960年代後半に劇的に転換したという。折りしもジョージ・W・ブッシュがイェール大学に入学した直後のことであり、公民権運動、ベトナム反戦運動などの高まりで伝統的なエスタブリッシュメント中心の価値観が揺らいでいた時期であった。

このとき、イェール大学をはじめとする米国の一流私学は、それまでの名門プレップ・スクール中心のアドミッションから、公立高校出身者の大量受入れに大きく舵を切った。

その結果として、学生数に占める卒業生の子弟の割合が低下する一方で、新入生のSAT(Scholastic Assessment Test、大学進学適性試験=大学進学能力基礎テスト)の得点が急上昇したということである。

 公立高校出身者という言わば「庶民」の流入は、アメリカのエリート層の流動化をもたらしたかも知れない。しかし、それによってエスタブリッシュメント層の構成に新陳代謝が促され、その後のアメリカ社会の活性化に一役買ったことは否定できないだろう。

 

日本が「私学化」する理由

 こうしてみると、日本の指導者が官学(東大)出身者から私学出身者となる一方で、米国の指導者がほぼ一貫して一流私学出身者であり続けるのは、必ずしもアメリカの社会が「変わっていない」からではない。むしろアメリカの大学が、時代の変化にあわせて柔軟に「変わっている」ことの証左であるとも言える。

だとすれば、先に見た日本の私学化という一見明らかな「変化」は、逆に「変化に適応し切れていない」日本の教育の姿を反映しているとも受け取れる。

大学と、そこに至る教育システムが柔軟性を欠いているがために、親や子供の方が「その時々でなるべく時代に合った進学先」を選ばなければならなくなっているのだ。

これは、ある意味で、柔軟性を欠いた教育システムが子供や親に対して無用な負担を強いていることになる。

時代は常に変わっていく。変わっていく時代についていくのは必ずしも楽なことではないからだ。

次は、「Part 3  プレップ・スクールと公立高校

 

 

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