資産家宅でのサロン

 

成功した同族企業経営者家族に

受け継がれる「ファミリーの価値」とは何か

 

 

 

強欲資本主義と羨望資本主義

 このところの世の中の「すさみ方」は、目に余るものがあります。

 政治と経済の混迷は言うまでもなく、口に出すのも憚られるような出来事が次々と起こっています。

 おそらく、この「すさみ」が特に目に付くようになったのは、ライブドアによるニッポン放送株の買収が世間を騒がしていた頃ではないかと思います。「おカネがあれば愛情さえ買える」と恥ずかしげもなく言ってのける人物の言動がマスコミを賑わせ、若い世代を中心に一定の支持さえ得ていました。

同じ頃、海の向こうでは返済能力に疑問符の付く人たちに無理やり住宅ローンを貸し付け、これを証券化することで貸し倒れリスクは他人に付回すという金融手法が全盛期を迎えていました。いわゆるサブプライムローンです。

この時代を振り返って「強欲資本主義」と呼ぶ人もいます。確かに、時代の寵児のように持て囃されていた人たちは強欲に憑かれているように見えました。

さらに、当時から彼らを羨望の眼差しで見ている人々が存在していました。欧米投資銀行の億単位の給与は言うに及ばす、大手テレビ局の一見華やかな職場と千万単位の給与も嫉妬と羨望の対象となりました。エリートたちの間で強欲資本主義がはびこっていたその陰で、庶民には「羨望資本主義」とでも言うべきものが着実に根を下ろしていたのです。

 

 

世の中でいちばん醜いこと

福沢諭吉作とされる心訓七則には、「世の中でいちばん醜いことは他人の生活を羨むこと」である、とあります。今ひしひしと感じられる時代のすさみは、「いちばん醜いこと」が社会に広まってしまった結果なのかも知れません。

その意味で、強欲資本主義の罪は、サブプライム後の世界同時不況(恐慌)を引き起こしたことに止まらないでしょう。しかし、忘れてはならないことは、その「強欲資本主義者」自身が、他人の富を羨んでやむことのない「羨望資本主義者」でもあったという事実です。エリートであり、世間の耳目を集めるに十分な富を得ていた彼らがなお他人を羨んでいたことで、羨望が強欲を生み、強欲が羨望を生むという不幸な循環が生じたのだと思います。

 

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