プライベートバンクFAQ

外貨預金の呆れた実態

 

 

 

Part 4  寄付と投資の類縁性

 

しかし、重要なことは彼のその信念そのものであって、科学的に、あるいは客観的に見たときにそれが偶然か必然かということではない。単なる偶然を「必然」と信じ切ってしまうほどの精神的なパワーがビジネスには必要だからだ。

 

 とは言え、マーク・ビクター・ハンセンの言うように、収入の十分の一を寄付に回すというのは、私たち凡人には荷が重過ぎるだろう。そもそも社会福祉の相当部分がNPOで賄われているようなアメリカと異なり、日本ではNPOといっても何をやっているのかよくわからないし、財務内容も開示されていなければ寄付金がどのように使われているのかもチェックできない。街頭募金も悪くはないが、慈善とはある種の物乞いであるかのような誤解を与えかねない。もっとプレゼンテーションのあり方を考え直したほうがよいのではないかと思う。こういう現状では、やはり寄付金を拠出するというよりは、ボランティアとして労役を提供するほうが中心になるのかも知れない。ボランティアとして活動すれば、自分が何に貢献しているのか目に見えやすいからだ。

 

 

 また、最近では、寄付と投資の中間のようなファンドの設立も目立っている。代表的なものは東日本大震災の被災地支援ファンドだろう。ファンドであれば会計情報の開示もしっかりしており、出資金の使い道もわかりやすい。寄付とは「神や善や宇宙への投資のようなもの」というマーク・ビクター・ハンセンの言葉を待つまでもなく、寄付と投資は似たものどうしである。ただ、そのリターンを受け取るのが「自分だけ」か「(自分を含む)社会全体」かという違いがあるだけだ。しかも、ちょっと考えてみればわかることだが、寄付とはどんな金融商品もかなわない「最高のリターンが得られる投資」なのである。それというのも、わずかな金額の寄付であっても人の命を救うことができるからだ。そうして救われた人が一生の間に社会に還元できる有形無形の富を思えば、その意味が納得できるのではないだろうか。

 

 長引く景気低迷の上に、天災・人災が続き、国力の低下が真面目に議論されている今、日本人の多くが被害者意識を持ち、自己中心的な思考に陥る傾向がなしとしない。こんなとき、舶来の自己啓発本や成功哲学を読んだとしても、迷信か、単なるきれいごとにしか聞こえない可能性もある。けれども、「寄付」一つとってもこれだけの根拠を挙げることが可能なのである。この機会に読み返し、今すぐは無理でも、「将来、寄付のできる人間」を目指してみてはどうだろうか。きっと新しい展望が開けてくるのではないかと思う。

1. 成功哲学は宗教的プロパガンダか 

                                                2. 寄付のパラドックス 

                                                 3. 感謝に思考の軸を移す 

                                                4. 投資と寄付の類縁性

 

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