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外貨預金の呆れた実態

 

 

富が天才を育てる

今日の目で歴史を振り返ってみるなら、メンデルスゾーン銀行にしても、ヴァールブルク銀行にしても、その歴史的な使命は、一族に出た「天才」の力を、長年にわたり蓄積した富によって十分に開花せしめたことに尽きる。富の蓄積は平坦な道のりではなかったが、何とか天才の出現に間に合ったことで、その役割を果たした。

翻って現代の日本を見るなら、戦後から今日までの日本は、なかなか「天才」の出現しにくい社会であったように思われる。富の配分も、教育水準も均等的で、突出したところが無かったからかも知れない。あるいは、戦後日本で活躍の場を得られた天才たちは、主として貧しい状況でハングリー精神を発揮できるタイプの人たちであって、メンデルスゾーンやアビ・ヴァールブルクといった「豊かさを必要とする天才」が出現する余力は無かったというべきだろうか。

しかし、これから数世代と経たない内に、状況は劇的に変わるのではないだろうか。すなわち、「貧しさを乗り越える」というタイプの天才は次第に少なくなり、「生まれ付きのエリート意識」が努力の原動力となるような天才が現れて、社会や経済、文化を牽引していくことが予想されるのである。

既に述べたように、フェリックス・メンデルスゾーンもアビ・ヴァールブルクも、音楽や美術の専門家となるように望まれ、幼時から特別な英才教育を受けたわけではなかった。ある程度豊かな家庭で、欧米の(というよりは、ユダヤ人の場合、キリスト教徒の)ビジネス・エリートに伍する教養を身につけるべく、一流の、しかし一般的な教育投資を受けただけであった。このような欧米的なエリートが日本でも今後増えることが予想される。

 

 

「天才の出現」に備える

そして、幾世代かを経た後に、突如として「天才」が生まれる。意図して得られるものではなく、忘れた頃に、不意打ちのように現れるのだ。

その天才は、もしかするとどんな慈善よりも世の中に貢献し、人々を幸福にするかも知れない。だが、その才能を生かすも殺すも、他ならぬ蓄積された富の有無にかかっているだろう。それは、メンデルスゾーンとヴァールブルクの例でも見た通りである。

このような事態に備えるためには、現時点で資産家である必要は必ずしもない。資産の額それ自体は、数十年後に出るかどうか分からない「天才」の出現に間に合えば十分であるからだ(仮に、現在の資産が500万円であっても、これを年利10%の複利で投資・運用すれば、25年後に5000万円、50年後に5億円、75年後に50億円になる。現実の投資・運用はそのような平坦なものではないが、長い目でみれば、これは決して荒唐無稽な話ではない)。今、むしろ重要なのは、「子孫に財産を残す」ことの意味を認識しておくことであろう。

これから、世の中は、いやがうえにも複雑化する。そして、その複雑さに対応できる「天才」が必要とされ、社会や経済、文化を牽引し、変革することが求められる。

才能のある者は常に現れる。しかし、彼らが「天才」に育つためには、しかるべき資産やストックという条件が整っていなければならないのだ。

「富を蓄積し、子孫に財産を残す」ことは決してエゴイズムなどではなく、何よりも優れた社会貢献ともなり得ることを、我々は知らなければならないのである。

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