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外貨預金の呆れた実態

 

 

ユダヤ人であることの不利

だが、音楽家メンデルスゾーンと美術史家アビ・ヴァールブルクにとって、自分たちがユダヤ人であるということが有利に働いたとは考えにくい。クラシック音楽界でユダヤ人の活躍が目立ち始め、ユダヤ人音楽家のネットワークが形成され始めるのは、メンデルスゾーンの没後かなり経った19世紀末か20世紀初め頃のことであるし、ヴァールブルクが美術史を志した当時のドイツ美術史学界に至っては、あからさまな反ユダヤ的な風潮が幅を利かせていたからである。18世紀のヴィンケルマン『ギリシア芸術模倣論』以来の古典主義も、中世ゴシック芸術を称揚するロマン主義も、奇妙な形でドイツ民族主義と結び付いており、アビ・ヴァールブルクのような「キリスト教美術を研究するユダヤ人」に対する風当たりは強かった。名著『イタリア・ルネサンスの文化』で知られる、敬愛するスイスの文化史家ブルクハルトまでが反ユダヤ主義者であるという現実に直面したヴァールブルクの苦悩は、想像するに余りある。

このように「何故、天才が生まれたか」を説明することは容易ではない。しかし、ユダヤ人にとってかくも厳しい環境の下で、何故彼らが生まれ持った「天才」を十分に発揮できたかを説明することは、それほど難しくはない。

 

 

ヴァールブルクの経済的自由

一言で言うなら、それは、彼らが「金持ち」であったからである。

アビ・ヴァールブルクの有名なエピソードに、彼が13歳であったとき、弟のマックスと契約して、「銀行業の家督を譲る代わりに、一生の間、欲しい本を買うための費用を出すこと」を約束させたというものがある。このとき兄が将来20世紀屈指の愛書狂となることをまだ知らなかった弟マックスは、後年になってこの軽率な約束を後悔することになる。しかし、重要なのは、この約束が現実に果たされ、あらゆる分野にわたる世にも珍しい高価な書物を、1929年に兄が亡くなる時まで買い続けられるほどの資力が一族にあったということである。アビ・ヴァールブルクは、ドイツ美術史学界の反ユダヤ主義も与ってか、一生の間大学の教職に就くことはなかった。だが、経済的には何不自由することなく、研究し、貴重な書物を買い漁ることができた。そして、彼の独自の方法、発想、業績は、何よりもその自ら収集した一大ライブラリーに依存していた。つまり、この在野の学者による美術史の大変革は、経済的自由を享受することができて初めて可能となったのである。

この事情は、音楽家フェリックス・メンデルスゾーンの場合も基本的に同じようなものであった。富裕な家族の支援なくして、100年も昔の忘れられた作曲家であるバッハの発掘が可能であったとはちょっと考えにくいからだ。実際、大バッハの死後1度も演奏されたことがなかったという『マタイ受難曲』の復活演奏のきっかけとなったのは、母方の祖母から贈られた古い手書きのスコアであったという。

 

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