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後戻り不可能な断絶
「モダン・アートの成立」は、かかる「趣味の変化」を抜きにして考えることはできない。
この趣味の変化により、20世紀の人々は、19世紀にはほとんど理解されなかったゴッホやセザンヌを美しいと感じるようになり、逆に19世紀には敬愛され尊敬されてもいた画家たちの作品を醜いと思うようになった。芸術先進国フランス、後にヴァルター・ベンヤミンが「19世紀の首都」と呼んだ文化都市パリは正に世界の美術の中心だった。そこで絵画・彫刻の権威として美術界に君臨し、サロン(官展)の審査員をも務めた当時の有名画家たちが、すでに20世紀初め頃には「アカデミズム」、「折衷主義」、「ポンピエ」などと呼ばれて蔑まれ、やがてその存在すら忘れられてしまったのである(注)。
ふと気が付けば、19世紀の人々が考える「美」と、現代の我々が考える「美」との間には、乗り越えがたい溝、理解不可能な断絶が、ほとんど後戻り不可能ともいえる形で、生まれてしまっていたのだ。
(注)当時第一線で活躍した画家・彫刻家はほとんどこのグループに属すると言ってもいいが、以下に代表的な芸術家の名前をいくつか挙げる。なお、「ポンピエ(art pompier)」の語源は「消防士」であり、古代ギリシアの鉄兜が消防士のヘルメットを思わせることから来ている。古典古代の神話や事蹟を描いた歴史画が主要なジャンルであったことを揶揄する語である。
・ オラース・ヴェルネ(Horace Vernet, 1789-1863) フランスの画家。『ブラマンテ、ミケランジェロとラファエロに聖ピエトロ寺院の建造を命ずる教皇ユリウス2世』
・ レオン・コニェ(Leon Cogniet, 1794-1880) フランスの画家。『シャンポリオンの肖像』
・ アリ・シェフェール(Ary Scheffer, 1795-1858) オランダ生まれのフランスの画家。『ダンテとヴェルギリウスの前に現れるパオロとフランチェスカ』『聖アウグスチヌスと母、聖女モニカ』
・ ポール・ドラロッシュ(Paul Delaroche, 1797-1853) フランスの画家。『芸術の寓意』(国立美術学校の半円画)、『ジャンヌ・ダルクとウィンチェスター枢機卿』『ジェーン・グレイの処刑』
・ フランツ・ヴィンターハルター(Franz Xavier Winterhalter, 1805-1875) 英国女王ヴィクトリア、フランス王ルイ・フィリップ、皇帝ナポレオン3世とウジェニー皇妃、ハプスブルク家の皇妃エリザベートなどの肖像画を描いたドイツの画家。
・ シャルル・グレール(Charles Gleyre, 1808-1874) スイス出身の画家。モネ、ルノアールなどを指導。『使徒の出発』『失われた幻影』
・ イッポリィト・フランドラン(Hippolyte Flandrin, 1809-1864) 『海辺に座る若い男』『マギの礼拝』『皇帝ナポレオン3世』
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・ トマ・クーチュール(Thomas Couture, 1815-1879) 折衷主義を代表するフランスの画家。エデュアール・マネやピュヴィス・ド・シャヴァンヌの教師。『退廃期のローマ人』
・ メソニエ(Jean-Louis-Ernest Meissonier, 1815-1891) フランスの画家。後にシュルレアリスムの画家ダリにインスピレーションを与えたという。『パリ包囲戦』『1814年の遠征から帰還するナポレオン』
・ エルネスト・エベール(Ernest Hebert, 1817-1908) フランスの画家。『聖母子』
・ アレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel, 1823-1889) フランスの画家。『ヴィーナスの誕生』はナポレオン3世が買い上げたことで有名。『パオロとフランチェスカの死』『ベニスの商人』
・ ジャン・レオン・ジェローム(Jean-Louis Gerome, 1824-1904) オリエンタリズムを得意としたフランスの画家。『ピグマリオンとガラテア』『闘鶏』『ローマの奴隷市場』
・ アドルフ・ウィリアム・ブーグロー(Adolphe William Bouguereau, 1825-1905) フランスの画家。『ヴィーナスの誕生』『アモールとプシュケー』
・ ジャン・ジャック・エネル(Jean-Jacque Henner, 1829-1905) フランスの画家。『読書する女』『若い羊飼い』
・ レオン・ボナ(Leon Bonnat, 1833-1922) フランスの肖像画家。『ヴィクトル・ユゴー』
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