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チューリップ・バブルと「Modern Artの愚行」

19世紀フランスの官展派(サロン)絵画の支持者たちがモダン・アートの到来を予見できなかったように、現在の我々には理解不能かつ予期できない「趣味の変化」がいつの日か生じないという保証はない。それによって現代の高価な美術品が将来理解されなくなり、価格の暴落が起きるという可能性を誰も否定することはできないだろう()

()これに関連して最近注目されることは、従来無視されてきた19世紀アカデミズムの巨匠たちに対する再評価の機運があることである。彼らの名前は専門家でない一般の人々にはまだ知られていないが、作品画像の露出度は明らかに高まっている。その理由としては、オールド・マスターの出物が少なくなったため画商が眼を付けたとか、モダン・アートの中心がアメリカに移ったことに対するヨーロッパからの反発であるなど、いくつか考えられる。美術史の側からすると、印象派、モダン・アート偏重であった歴史叙述の行き過ぎを改め、19世紀美術の全体像をとらえたいということらしいが、この傾向が「新たな趣味の変化」の予兆であるかどうかは不明である(それどころか、この再評価自体が一過性の「バブル」である可能性も否定できない)。インターネットをざっと見た印象だが、日本でこれらサロン絵画に入れ込んでいるのは、画学生や画家の卵が多いようだ。19世紀に美の基準とされた技巧的な完成度の高さは今日ではやや異様なほどであり、これが現代の画学生たちの関心を惹いても不思議ではない。その高度な技術は、例えば、おそらく最も露出度の高い絵画作品の一つであるフランツ・ヴィンターハルターによるハプスブルク家の皇妃エリザベート(シシィ)の肖像画などを見れば、十分に看取できるだろう。

 

 

17世紀オランダの所謂チューリップ・バブル事件のとき「球根1個が家1軒と交換された」という話を現代の我々は笑う。だが、ほとんどキャンバスに絵の具を塗りたくっただけの絵にマンション1棟分の資金を投入する現代人の話を、後世の人々が笑わないと果たして言えるのだろうか。いつの日か、20世紀的な趣味の世界が理解されなくなったとき、それがモダン・アートの愚行として物笑いの種にならないという保証はどこにもないのである。

もちろん、「それでも構わない」と思えるなら、あえて美術品を買い、芸術家のパトロンとなるのも一つの美学である。称賛するべき行為とさえ言えよう。しかし、それを「投資」とみなすことはできないし、するべきでもない。

 

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