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寄付は、全額を一度にするべきか
寄付そのものについても、現代の状況は本多の時代とは異なる。
本多の行なった寄付は、「学校、教育、公益の関係諸財団」に対するものであった。今日で言えば、さしずめNPO、NGOへの寄付ということになるだろうか。現代の世界においてNPO、NGO等の果たす役割が増大していることは、連日の報道などを見ても明らかだが、一方、このような「個人の善意」で支えられている団体が組織として脆弱であることも最近論じられていることである。
少数のコアなメンバーの大いなる熱意のみに依存する傾向のあるこの種の組織は、コア・メンバーの脱退・死亡などにより急速に瓦解し、あるいは機能不全に陥ることがしばしばであるからだ。
本質的に組織としての弱みを免れないNPO、NGOは、一時は目覚しい活躍をしているとしても、本多のように確信をもって「実質的な全財産」を寄付する対象としては甚だ不十分ではないだろうか。
以上のような条件の変化を考慮すれば、今日の日本に一人の「本多静六」も出現しないとしても、致し方のないことである。仮に、本多のような精神高潔なる富豪が現代の日本に存在するとしても、その「実質的な全財産」を、子孫のために残すのではなく(あるいは子孫のためにも残しながら)、適切に寄付するための条件が日本には揃っていないのである。
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「高貴な者の負うべき義務」の伝統
だが、「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」の伝統が生きているヨーロッパでは、いささか事情は異なる。日本と異なり、経済がじっくりと時間をかけて成熟化してきたヨーロッパでは、「生まれながらにして富裕な子供」をしっかりと教育し、「精進向上の気魄」、「努力奮闘の精神」を養いつつ、それと同時に社会に貢献する(させる)ことに関して、長年のノウハウの蓄積があるからだ。それは当然のことながら、財産の処分法にもかかわってくるものである。
これぞまさに、古い伝統に裏打ちされているからこそ柔軟性があり、現代の複雑化する状況にも対応可能な「財産を生かす道」である。
明治の人である本多静六がこの方法について知っていたかどうかは分からない。だが、少なくとも、グローバル化の進展していない当時の日本で利用できる手段ではなかった。
それは、どんな方法なのだろうか。
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