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外貨預金の呆れた実態

 

 

 

現代社会の条件

思うに、現代人が本多式の投資法により大金持ちとなる可能性はそれなりにあるだろうが、本多自身のような「金銭に拘泥しない賢人」となる可能性は低いと考えられる。しかし、これは、致し方のないことである。現代社会の条件は、本多の時代と余りに異なっているからだ。

現代では国の経済ははるかに豊かになっているが、本多のように「自ら国造りに参加した」との実感をもつ人はほとんどいないのである。

加えて、投資での成功も、本多の時代ほど簡単ではないように思える。日本がいまだ後発工業国であり、経済のグローバル化が未発達であった戦前には、欧米先進諸国の例を見れば、どの業種が今後発展するべきか大方の予想が付いたはずである。だからこそ本多の師ブレンターノは、さほど日本通であったとも思えないのに、「幹線鉄道と安い土地と山林に投資せよ」などと言うことができたのだ。

しかし、成熟経済の段階に達した現代では、投資においても「欧米先進国」の後追いをすれば良いという時代はとうの昔に過ぎ去り、先の見えない時代に突入している。こうなると「児孫の為に美田を買わず」などと悠長なことは言っていられない。

 

 

「まず蓄財してから」では遅い

 現代人の幸福観もまた変わってきている。国全体が貧しかった時代と異なり、現代では、「経済的な成功」でとりあえず満足するという段階ではもはやない。本多の言う「精進向上の気魄」、「努力奮闘の精神」を傾けて目指すべきものが、現代ではすでに生まれながらにして裕福でなければ達成し得ないものである可能性も大きい。知識や文化を含む広い意味での創造性は、国や社会の発展にとってますます重要なものとなっているが、高度の創造性を育むには相応のコストがかかるのが普通である。「まず、ゼロから蓄財しなさい」では遅いのだ。

かつて明治国家は、貧しくとも刻苦精励する若者たちを当時として莫大な国費をかけて留学させてくれた。しかし、私費留学が当たり前となっている今日では、学者や芸術家を目指している子弟に財産さえ残すことなく、「精進向上の気魄、努力奮闘の精神でやれ」などと言うのは余りに酷なのである。

従って、とりわけ現代において、子孫に経済的基盤を与えずゼロから出発させるのが賢明であるとは考えにくい。むしろ重要なのは、「生まれながらに豊かな子供」に対して、いかにして「精進向上の気魄」、「努力奮闘の精神」を植え付け、しかも社会貢献への関心を涵養するかという教育上の問題であろう。

これはヨーロッパのいわゆる「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige、高貴なる者の負う義務)」の伝統に通じるものだが、青年時代の貧しさをバネとした本多静六には、残念ながらこの発想はなかったのかも知れない。

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