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外貨預金の呆れた実態

 

 

 

蓄財の再現可能性

実際、本多は、退職後の財産を「無用の長物」と考えているふしがある。『私の財産告白』にはこう述べられている。

「今後は遺産相続税率の累進、または国家没収に類する新法案の出現で、事実上これを子孫に譲ろうと思っても譲れなくなる。なおいくらか譲れたとしても、必ず不労所得税などの新設強化で、親譲りの財産などはなんら利益をもたらさないのみか、かえって無用の負担とならぬとも限らぬ。」

財産を譲ったとしても幸福を譲ったことにはならない。かえって「精進向上の気魄」、「努力奮闘の精神」を失わせ、子孫の幸福をむしろ阻害するのではないか。本多はそう考えているようにも受け取れる。

おそらく、この発言の背後に仄見えるのは、自らが単純な投資法で、ほとんどゼロから始めて巨富を築いたという経験から来る自信ではなかろうか。本多には、自分の投資法による成功が「再現可能なもの」であって、子孫たちもまた同様に努力すれば必ずや蓄財できるはずだという確信があったのだろう。そして、子供を「親の資産管理人」にするよりは、自力で成功する体験を味わわせることが子孫の幸福につながると考えたのである。

 

 

「国を想う心」あればこそ

とはいえ、これは寄付行為の消極的な効果に過ぎない。本多静六ほどの人物であれば、自らの財産を積極的に生かす道を考えたはずである。それが寄付行為であったとすれば、必ずや相手先として、その趣旨に心より賛同できる団体を厳しく選定したことであろう。寄付が匿名で行なわれたために、本多が寄付したという「学校、教育、公益の関係諸財団」の内容は詳らかでないが、「財産を生かしてくれる最善の団体」を、慎重に選んだに違いないのである。

ところで、本多静六の投資法の原理は現代にも通用するものであるが、その寄付行為から伺われる金銭哲学には明治人としての気概と自負が強く感じられる。これは、近代国家の建設に参加した者だけが持ち得るものであって、現代人には容易に理解も共感もできないものであるかも知れない(その意味で、本多の著書は『金持ち父さん』などとは本質的に異なる)。本多が億万長者になれたのはドイツ留学時代の恩師ブレンターノの教えがあったからであるが、彼が外国留学を果たした背景には明治という瑞々しい時代の息吹があった。その蓄財の背景には、私費留学生としての赤貧洗うがごとき体験があったわけだが、明治維新がなければ留学することすらかなわなかったのである。さらに林学者として全国の鉄道防雪林の造成、国立公園の制定にかかわった本多は、日本の国土と自然に対して並々ならぬ愛着を抱いていたに相違ない。

後年の寄付の背景として、本多のこのような国土愛と「国からいただいたものを返す」という思いが働いていたことは想像に難くないだろう。彼の「国を想う心」は実体験に基づいており、観念的なものではなかった。だからこそ全財産の寄付も可能であったのだ。

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