東大教授の億万長者伝説―
本多静六の金銭哲学と現代
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「学者」にして「投資家」
東大教授でありながら、一代で巨万の富を築き上げた「投資家」がいた。
その投資家の名は本多静六(1866-1952)といい、日本初の林学博士である。明治期にドイツに留学した秀才であったが家は貧しかったという。(本多静六の著書 を見る)
例外はあろうがおよそ世事に疎いと思われる人種の代表である「学者」が、赤貧洗うがごとしと言ってもいい状態から一念発起し、投資のみで億万長者となった。これは、数ある成功譚の中でも最も意外なものの一つではなかろうか。
この事実を知ったとき、俄かには信じがたいという思いとともに、その秘訣を聞いてみたいという津々たる興味が湧き起こったことを覚えている。
そこには、常人の容易に知りえない「科学的方法」でもあったのかと疑われても不思議はないからである。
東京帝国大学教授にして伝説の億万長者・本多静六の方法は、確かに「科学的」である。現代のポートフォリオ理論を先取りする利殖法であると言ってもいい。
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ところが、それは実際のところ「常人の容易に知りえない」ようなものではなく、むしろ常識的で当たり前のことであり、彼はその当たり前のことを、根気よく、ひたすら愚直なまでに実行し続けたにすぎないのである。
その投資術についての詳細は本多の著書『私の財産告白』に譲るが、要は、
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収入の4分の1を強制的に天引き貯蓄する
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その貯蓄を元手に、株価の安い「不況時」に積極的な投資を行なう
ということに尽きる。
「何だ、そんなことか」と拍子抜けするかも知れないが、最近のバブル崩壊と平成不況時の株価(例えば、住友金属株や銀行株を見よ)が2005年暮れ頃にはどうなっていたかを調べれば、その方法の正しさが納得されるというものだ。
不況時に積極果敢な投資
ただし、これだけでは納得が行かない、ほかにも何かあったはずだと言われる人のためにあえて付け加えるなら、確かに、戦前の人である本多静六には、現代の日本人よりも有利な点がないわけではなかった。本多が投資を始めた当時の明治大正期にあっては、後発工業国の日本でどのような業種に投資するべきか、欧米先進諸国の先例を参考にすれば比較的容易に判断できたからである。
だが、何より重要なことは、市場全体が弱気に支配されている「不況時」に積極果敢に投資したことである。そして、株価が上昇し、世の中が好況に沸いているときには、浪費を遠ざけ、浮かれることなくかえって勤倹節約に励み、次の不況時に投資するためのタネ銭(本多はこれを「雪だるまの芯」と呼ぶ)を作った(現代風に言えばキャッシュ・ポジションを高めたということか)。要するに、巷の雰囲気に流されず、常に沈着冷静であれということであり、これは時代を超えた真理なのだ。
原理は単純だが、言うほどに簡単なことではなかろう。しかし、その気になれば誰でも実行できることであり、その有効性は現代の投資理論が証明している。
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