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事業承継と信託の精神

 このエピソードからも窺い知られるように、「事業承継」は、時代と洋の東西を問わず経営者を悩ませる問題である。

 最近では、日本でも事業承継のガイドなどが書店に並んでおり、一種のブームとなっている観がある。しかし、それらは「争族」を避けるために公正証書遺言を作成せよとか、いかにして相続税の評価額を下げるかといった、言わばテクニックを説くものばかりである。それはそれで重要なことなのだが、法務や税務のテクニックが事業承継にとって決定的なことであるとは思えない。公正証書遺言によって遺族の法律的な争いを避けたにせよ、自社株の評価額を引き下げることで相続税を億単位で節税したにせよ、100年続く事業の基礎が固まったとはとても言えないからだ。ましてや、「適当な後継者が見当たらない」という悩みを、単なるテクニックで解決できるわけはないのである。実際、「後継者が見当たらない」という悩みに対して、テクニックが教える解決法は「会社の解散や売却」くらいではなかろうか。

 こう考えると、事業承継対策を言うとき、ヨーロッパにはあるが、日本には決定的に欠けているものに気付かざるをえない。

それは、一言で言えば「信託の精神」である。

では、「信託の精神」とは何か。それを知るには、先述した遺産相続の物語を振り返ってみるのがいい。

 ハリアットが自らを「信託の受託者」に擬したのは、もとより法律的な根拠によるものではないが、そのことがかえって「信託の精神」の本質を表している。信託は死をも超える。つまり、亡き人が生前に寄せてくれた信頼に、生ける者がいかに誠意をもって応ずるかという意識がその根底に存在するのだ。従って、フィデュシアリー・デューティー(fiduciary duty、信任義務、忠実義務)という法律用語はあるが、法によって押し付けられるのは信託の本分ではない。これに対して、日本は「死人に口なし」という文化である。いったん自分のものになったら、後はどう使おうと自分の勝手であり、他人が出来るのは文句を付けることくらい、まして故人の遺志などどれほど顧慮されるだろうか。だからこそ、日本では争族は醜いものになりがちであり、信託は個人にまでは浸透せず、ビジネスの手法以上のものになりにくいのである。

 

 

 日本でも最近、信託法の改正があり、事業信託の可能性がようやく取り沙汰されているようである。しかし、ハリアットの遺言に見られるように、ヨーロッパにはすでに200年前に事業信託が存在していた。ヨーロッパにおける資産運用手法の伝統と蓄積に舌を巻くべきだろうか、「資産運用後進国」日本の立ち遅れぶりに呆れるべきだろうか。事業承継、資産承継の対策として有効な事業信託であるが、むしろ、信託の精神が根付いていない日本で行なわれた場合は、真に委託者の意志が忠実に守られるのか、真に受益者の利益がはかられるのか、あるいは詐欺的なビジネスに利用されないかなどの懸念を、どうしても拭い去ることができない。

 一方、ハリアットが後半生をかけて後継者を選び、その遺言により事業信託を用いて承継された銀行では、その後200年近くを経て、同族経営を脱した現在に至るもヨーロッパの伝統である「信託の精神」が息づいている。

「信託の精神」が事業の承継と発展にとっていかに重要なものであるか、この銀行の歴史そのものが、如実に物語っていると言えるだろう。

 

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