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外貨預金の呆れた実態

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相続の謎を解く鍵

 これら一連の不可解な事実をどのように解釈すればいいのか、伝記作家は何も語らない。しかし、くだんの銀行が今日もなお「女王陛下の銀行」、「英国王室御用達の銀行」とされ、繁栄を続けている遠因の一つは、この一見「奇妙な」遺産相続にあることは間違いない。

この謎を解くキーワードは、おそらく「事業承継」と「信託」である。

1822年にトーマス・クーツが87歳で世を去ったとき、彼の3人の娘が健在であったことは既に述べた。他家に嫁いでそれなりに裕福な暮らしをしているとはいえ、父親として彼女たちに財産を譲りたいという気持ちは山々であったに違いない。しかし、彼の財産の主要部分は銀行のパートナー(共同経営者)としての持分権だった。彼は銀行の持分権の過半を所有していたが、仮にこれを3(妻の相続分を含めれば4)に分割するなら、当然ながら銀行経営に対する支配力は弱まり、最悪の場合、他のパートナーをも巻き込んだ内紛や分裂が生じかねないとも考えられる。

かと言って、いずれか1人だけに遺産を単独相続させるなら、これも家族不和の原因になる可能性がある。また、遺産の相続人は娘であるが時代等を考慮すれば娘が直接銀行経営に携わることは考えにくく、これに代わって、その夫が実質的に銀行経営に乗り出すことは十分あり得ることである。ところがその夫にしても土地貴族であったり政治家であったりで、銀行経営の経験はなく、経営権の過半を任せるにはあまりに心もとない。さらに、庶民出身の後妻であるハリアットのその後の人生のことも当然気にかかったに違いない。

「すべてを後妻に相続させる」という、およそ常識的でない結論は、このような父親として、また経営者としての深慮遠謀の末に出されたものであると想像される。その根底には、後妻ハリアットに対する全幅の信頼があった。彼女はこの財産を決して一族にとって悪いようには使わないと、トーマスは信じて全財産を託したに違いないのである。

 

 

遺産を「受託者」として受け取る

一方、遺産相続人であるハリアットは、この相続を夫クーツからの「信託」として受け取った(念のために申し添えるなら、これは厳密な法律上の「信託」ではなく、彼女がそのつもりであったということである)。「信託」であるということは、遺産は彼女のものであって、同時に彼女のものではない。彼女は、これを自らのために所有するのではなく、夫が心血を注いだ事業を将来にわたって繁栄させるのに相応しい後継者に承継させるためにのみ、預かったと考えたのである。実際、彼女の後半生の主な関心事は、トーマス・クーツから受け継いだ遺産を、トーマスのどの孫に、どのような条件で相続させるかということに尽きた。トーマスの思い出にひたり、その幼い孫たちから慎重に銀行の後継者を選ぶことだけが彼女の生きがいであったと言ってもいいだろう。セント・オールバンズ公と再婚した後も、それは変わらなかったのである。

その結果、選ばれたのがアンジェラ・バーデットであった。トーマスの孫は5人以上おり、男子もいたのだが、決め手となったのは、アンジェラの聡明さと人柄だった。

ハリアットが「信託」の受託者として正しい結論を下したことは、その後の銀行の歴史を見れば明らかである。

 

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