奇妙な遺産相続
ところで、森護氏が「大慈善家を生んだ」として紹介している遺産相続の話だが、よくよく考えてみれば、現代の我々から見て相当に奇妙なものであることに気が付く。
それというのも、銀行家トーマス・クーツがハリアットと結婚したとき、彼はすでに80歳の高齢であった。病死した前妻スザンナとの間に設けた娘3人は、他家に嫁いだとはいうものの、彼が他界したとき、いずれも健在であったからである。
19世紀イギリスの出来事に現代の日本人の見方を適用してとやかく言うのは無意味であるかも知れないが、87歳の老富豪が長年連れ添った前妻の子には何一つ残すことなく、一方、わずか7年間しか生活をともにしなかった後妻に全財産を相続させるのは何とも理不尽な感じがしないであろうか。これが現代の日本であれば、娘たちは「遺留分減殺請求」などの法的手段に訴える可能性は十分に考えられる。さらに、42歳年下の後妻であるハリアットは、世間から「遺産目当ての結婚をした」との非難を浴びせられたとしても不思議ではないだろう。
ところが、クーツの娘たちは、高齢の父親が孫と言ってもおかしくない年齢の女優と再婚したことにかなり戸惑いはしたものの、相続財産の取り分が減少するであろうことを理由にこれに反対することもなければ、全財産を相続したハリアットに対して法的手段に訴えることもなかった。それどころか、未亡人となった彼女を家族の一員として遇し、その交流はハリアットがセント・オールバンズ公と再婚した後も絶えることはなかったのである。
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「争族」があっても不思議ではない
さらに奇妙なのは、そのハリアットが他界したときの遺産の行方である。
ハリアットと24歳年下の夫セント・オールバンズ公爵との間に当然ながら子はなく、ハリアットに連れ子、養子などの係累は一切なかった。だとすれば、普通に考えて遺産はすべて夫であるセント・オールバンズ公爵のものになるはずである。ところが、現実にはほぼ全額がハリアットの前夫の孫であるアンジェラ・バーデットに譲られている。
遺産相続人であるアンジェラは、クーツの「前妻の娘の子」であって、ハリアットにとっては孫でも娘でもない(これが現在の日本であれば、彼女には相続権すらないことになるだろう)。そんなアンジェラが継祖母の遺産180万ポンドのほとんど全部を相続する一方、被相続人の夫であるセント・オールバンズ公は、1万ポンドの年金を得ただけで、その権利を主張することもなく、「遺留分減殺請求」などの法的手段もとらなかったのである。
つまり、トーマス・クーツの没後もハリアットの没後も、いずれも、相続というよりは「争族」が生じたとしても不思議ではないほどの極端に偏った資産の承継が行なわれた。今日の我々から見て不思議なことは、それにもかかわらず、「争族」どころか、一族の間にさしたる不和も生じていないように見受けられることである。
さらに、ハリアットの遺産額180万ポンドというのも微妙な数字であると言える。これは、トーマス・クーツの遺産90万ポンドを10年間運用した結果なのだが、90万ポンドを10年間で180万ポンドにするためには、年平均7パーセント以上の複利で運用する必要がある。これは、投資としてあり得る数字であると思われるが、やや深読みするなら、庶民出身のハリアットが莫大な遺産を手にしながら奢侈・贅沢に走らず、それどころか「遺産にほとんど手を触れることもせず」、つましい生活を続けていたことが、この数字から推定されるのである。
ややもすると「財産目当ての結婚をした」と受け取られかねない彼女だが、実際に行ったことは、前夫の財産を運用により倍増させ、これを前夫の孫に渡すことだけだったのである。
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