プライベートバンクFAQ

外貨預金の呆れた実態

スイス銀行の貸し金庫について

 

ある遺産相続の物語イギリス銀行史に学ぶ事業承継のヒント

 

「英国王室の銀行」

 経済や金融にはおよそ縁遠いと思われる文化史家、文学研究者や伝記作家が一銀行の来歴に深い関心を抱くのは、銀行と王室が深いかかわりをもつ英国ならではのことかも知れない。「英国王室の銀行」と呼ばれ、大衆的な営業は行っていないが故にイギリス国外での知名度はさほど高くないその銀行が、イギリスの社会、文化の発展に寄与するところは、さように大きかったのである。

 その銀行の歴史と銀行家一族の交友関係を紐解くなら、時代を18世紀末から19世紀前半に限定しても、英国の政治、文化、芸術を語るのに欠かせない重要人物のオンパレードとなる。国王ジョージ4世、王弟ヨーク公フレデリック、ウェリントン公、ディズレーリを初めとする王室関係者や政治家、劇作家のシェリダン、詩人のテニスン、作家のサー・ウォルター・スコットやチャールズ・ディケンズ、画家のレイノルズなどに加え、七月革命で即位したフランス国王ルイ・フィリップ、果てはナポレオン・ボナパルトの子孫までが登場する。豪華絢爛たるイギリス史の歴史絵巻さながらであり、この銀行の物語が文化史研究者の垂涎の的となるのも不思議ではないと思われる。

 

 

近代的フィランソロピーの先駆者

 日本では、森護氏が『英国史のティータイム』(大修館書店、1991)で、この稀有な銀行に関するエピソードを紹介している(「クーツの遺産、大慈善家を生む」)

 森氏によれば、1692年から続く銀行の当主であったトーマス・クーツが、1822年に87歳で他界したときの遺産90万ポンドは、「貴族、大商人さえ例外なく羨望の目を向けたほど」のものであったが、そのすべては遺言により、元女優で42歳年下の後妻であるハリアット・メロンのものとなった。その5年後、50歳になった彼女は、24歳年下のセント・オールバンズ公ウィリアムと再婚して貴族の身分を得、公爵夫人となったが、10年後の1837年に没した。このときのハリアットの遺産180万ポンドは、クーツから引き継いだ遺産90万ポンドを原資としてクーツ銀行で運用したものであったが、その殆どすべてを、前夫トーマス・クーツの孫娘で当時23歳であったアンジェラ・バーデットが相続したのである。

 この相続人アンジェラについて、森氏はこう述べている。

 「・・・アンジェラは、「イングランドで最も金持ちの相続人」という財力を、あらゆる社会奉仕に投じた。それも単に貧しい人達に恵むというのではなく、生活改善、新研究への援助、大学の講座への助成、殖産など各方面に及び、国内だけでなく、当時の英国植民地まで含まれていた。よく知られる児童虐待防止協会や、動物虐待防止協会も彼女の発案と出資によって生まれたものである。」

 文字通り一夜にして、イギリス最大、いな当時の大英帝国の繁栄を考慮すればおそらく世界最大級の富豪の仲間入りをした遺産相続人アンジェラは、『オリヴァー・ツイスト』などで令名をはせた貧民出身の作家ディケンズの助言を得て、現代で言うならロックフェラー財団やフォード財団、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団などが行なっている公益助成事業の先駆とも言うべき活動を行なったのである。ディケンズから長編小説『マーティン・チャズルウィット』の献呈を受けた彼女の仕事は、赤十字の父とされる実業家アンリ・デュナンに先立つものであり、その意味で近代的な慈善、フィランソロピー、公益事業や人道支援活動の元祖と言ってもいいかも知れない。その富と栄誉は、当時ヴィクトリア女王にもしばしば比肩された。

 

1 2 3 4 5

 

誰が美術館を作ったか

国際的社交の舞台としての軽井沢

絵画投資・美術品投機について

黄昏のハプスブルク家

お金の歴史、文化と哲学

 

 

 

[Home] [Japan Law]

[Swiss Private Bank Account for Free] [Offshore Trust vs. Liechtenstein Foundation]

[英文契約書翻訳] [チェコ語・スロバキア語翻訳]